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​今月の言葉

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​今月の言葉とは

「練馬芋洗い塾」創設者の1人であり

中村天風邪先生の直弟子であった

故米津千之先生は生前練馬芋洗い塾で我々に対して日々を生きる際の指針となる言葉を遺されております。

​

米津先生は「日本の道念」という題名で

様々な題材を取り上げられました。

​

それらはまた米津先生の国文学者としての視点からの天風哲学解釈でもあります。

​

「今月の言葉」は、その米津先生御遺稿の中から練馬芋洗い塾石井様独自の

ご判断で掲載しているものです。

​

なお徒然ブログは毎月練馬芋洗い塾会員の方のコメントを数珠の様に繋ぎます。

皆様お楽しみに! 

  言葉解説

「高い人になりなさい」

​ 是非お読みください

※米津先生と栗岩先生の対談です。

 

栗岩:各地に「名士」は腐るほどいますが、必ずしも人間的に見て尊敬するに値する人物とは限らない。

むしろ、無名で貧しい庶民の中に、意外にも道に達したような人物が見受けられます。

​

米津:君も知っているように、ボクは教え子たちに「偉い人になれ」と言ったことは一度もない。

「高い人になりなさい」と教えたはずだ。

名士というのは偉い人だ。

「高い人」というのは「私」を離れた無心の人、

「無碍・自在(むげ・じざい)」の心に達した人です。

​

栗岩:知識の多い人でも、見識の低い人がいますね。そういう人は「高い人」じゃない。

 

米津:何々の鬼、などと呼ばれている人は、技術や知識は優れていても、まだ達人ではない。

 

栗岩:そうしますと、天風先生は、「高い人」

「達人」なわけですね。

 

米津:まさにそうです。だから、天風先生こそ、

ボク自身の目標であり、人間の理想だと考えているわけです。

 

栗岩:天風先生は「欲望を否定するのはインチキだ」とまで語っておられます。

 

米津:達人だからといって、欲が根絶されるわけじゃありませんよ。

​

仏教では煩悩(ぼんのう)を断ち切ることを教えるけれど、日本的な道の観念から言うと「煩悩を美しく昇華(しょうか)させる」ことが眼目(がんもくー主眼)です。枯れ木のように無感覚になってしまっては、悟った意味がない。それではあまりにも寂しすぎ

る。

 

日本的な達人は、人里離れて修行する隠者や仙人ではなく、市井(しせい)にあって恋もし、仕事もし、ケンカもする、そういう人間のことです。天風先生はまさにそれでした。

 

栗岩:「煩悩を美しく昇華させる」 いい言葉ですね。百八煩悩が皆無になって枯れ木同然となるのが

人間の理想というのでは、達人のイメージが風邪ひいて寝込んじゃいます。達人というのは、生きる達人でなければならない。生きない達人ではつまらない。

 

米津:仏教に出てくる三毒の「貧(とん 

 -むさぼり)・瞋(じんーいかり)・痴(ち―無知)」をこの世から無くすという のではなく

病も汚れも理由があってこの世に存在するのだから、むしろ「貧・瞋・痴」と隣り合わせで暮すことなんです。

 

栗岩:そうすると、達人とは何も遠いところの話ではなく、日常をどう生きて「達なるもの」(真理)を

求めるかという問題ですね。

​

米津:そうです。ボクらは未熟だもの、すぐ失敗はする、心が惑う。でも、煩悩があるから教育もできる。

 

煩悩を足場にして人間教育を実行するんです。

天風先生は「煩悩があるから悟りがあるんだ。煩悩がなかったら悟れないよ」と言われた。

 

否定と肯定、その両方を包み込んで美しく昇華させていく生き方が、達人の生き方だと思います。    
 

​

​

  

​ 言葉解説

~随所に主となる~

  ~~~解説(石井)~~~ 

栗岩:国家の独善が世界を混乱させています。

独善の典型が宗教です。現代の戦争はほとんどが宗教がらみです。唯我独尊で他の宗教を否定し、相手を殲滅しようなどとするから、永久に終わりのない紛争に入ってしまうのです。キリストとマホメットと戦って、どちらかが他方を全滅させることなど、どう考えても不可能です。神が神を殺せますか?

信者を一人残さず殺戮できますか?

それができないならば、日本のように複数の宗教を受け入れることしか、解決策はないではありませんか。

 

米津:神と呼ぶからいけないのです。

私は大自然と呼んで人類共通の対象を

表したと思います。

​

「もろもろの大自然の精気をば身に宿す」

これが宗教の原点です。

誰だって生かされて生きているのです。

心臓を意識して自力で動かしているのではなく、自然に動いてくれているのです。

​

自然に、という心栄えが大切でして、

人工的な装置で動かしたり、無理な治療で

生かしたりしても、それでは

「その場その時にふさわしい行為によって、生きる力と叡智のひらめきとがさずかる」

というふうにはならないと思うのです。


栗岩:「随処に主となる」というのは

独善的になって人を支配することとは

全く別ですね。

​

米津:別です。むしろ世界は一つという

叡智を身に宿して、我を捨てる事により

心を自由にする。

 

我欲に縛られていては

真実は見えないものです。

​

栗岩:世界は一つと言っても、

それぞれの国には歴史と伝統があり、

千差万別の個性を持っています。

それを押し潰して他国も自国と同じ文化や

思想・言語に統一してしまおうというのは、とんでもない考え違いです。


米津:「増ありて減なし」と言いまして

日本文化の根本にあるのは、

削らずに保存し、少しずつ増やしていく

という態度なのです。

​

ですから漢字が入ってきても

やまと言葉は滅びませんでした。

伊勢神宮の建物ももとは掘立小屋でした。

古事記に「ここは朝日のたださす国

夕日の照る国なり いとよき所と

のりたまいて 底つ岩根に宮柱ふとしり・・・」とありますが

お伊勢様は二十年ごとに次第に増築して

いったものなのです。

増えて減らないのが日本文化。


ギリシャ神殿なども素晴らしい建物ですが

あれはある時代の誰かが建てたもんです。

伊勢神宮は違います。だんだん立派に

なっていったのです。

​

人間もそれが大切でして、

自分の役割を自然に増やしていく姿勢こそが「その時その場で主となること」に

私はつながっていくと思うのです。

 

随処に主となる
「その場その時にふさわしい行為によって

生きる力と叡智のひらめきとを授かる」 

それが随処に主となるということです。
 
雑誌特集「随所に主となる」より抜粋
 (平成19年7月)
(文章抜粋責 石井 2020.11.7)

​

 言葉解説
 ~しなやかに生きる~

 言葉解説

   ~~~米津先生解説~~~

 

人生は、「急がば回れ」で山を登る時は

蛇のように曲がり曲がりのぼるでしょう。

 

蛇のように「しなやか」に曲がることが

自然に順応することなのです。

​

禍のうごめく人生の海を漕ぎ渡るために

何よりも必要なことは 

この「しなやか」な心を育てる事なんです。

​

 ~禍のうごめく道を

しっかり歩む~  

    

  ~~~米津先生解説~~~

 

​ぼくたちは、この大宇宙の大気を、

より多く全身に受け入れることの出来る

態勢づくりを常に心がけていかなければならない。

​

そして天風先生のように「溌剌」「颯爽として」「生まれ甲斐のある」真人性を

歩んでいかなければならない。

​

外部から内部から絶えず襲いかかってくる邪気を祓い清め、いついかなる場合も、

「つねに明るく朗らかに、活き活きと勇ましく」暮らしていきたいものだ。 

​

​  言葉解説
​​ ~高い人間への志を 
​  抱いて
~

今回の「高い人間への志を抱いて」は

米津先生講話第26講となります。

以下に米津先生文章を掲載致します。

​

高い人間とは、洋の東西、老若男女とわず、到る所に宝石をちりばめたように輝いている。

​

「覚心・無碍自在の人」

「邪念や欲望に侵されない人無心の人」

「世の為人の為、真の世界平和を念じている仁者」

「正気颯爽として邪気や悪鬼を寄せ付けない人」

 

即ち「誠者天之道也。誠之者人之道也」と中庸にあるが如く、道に志し、道を修めた君子を指す。

​

またザーカイの様に直接イエスにより、永遠に変わることの無い命水を受けた運の良い人も居るし

(新約聖書ルカによる福音書十九章より)、

イエスの御霊を信じて、自己の使命を完うしたマザーテレサのような有徳の人もいる。

​

日本でも、その時代時代に塗り替えられる歴史の壁を潜り抜けて、国民の脳裏に受け継がれてきた「高い人間」への憧れは、日本独自の「道念の本流」となって消え去ることが無かった。

​

否むしろ異文化圏の民族がそれぞれに築いてきた美しい人間像を、「自家薬籠中のもの」として取り入れてきたしその上、これらが日本人の道念を振起させる起爆剤にもなっている。

​

例えば文天祥の志は藤田東湖の「正気之歌」なり甦り、孔孟の経書の教えはもとより、中国春秋時代の烈女の物語「孫叔傲両頭の蛇を殺す」もある。

​

​「孫叔傲嬰児たりし時、人之忌み嫌う両頭の蛇を見て、他人のまた見んことを恐れて、蛇を殺して埋めた」という仁者の美談。

ナイチンゲールの精神が日本赤十字社設立の当たっての大黒柱になっていたことなど、以下の婦人従軍歌(明治27年作)にも伺うことができる。

  ~~~婦人従軍歌~~~   

   味方の兵士のみか

   言もかよわぬあだまでも

​

   いとねんごろに看護する

   心の色は赤十字

​

   あな勇ましや文明の

   母という名を負い持ちて

 

   いとねんごろに看護する

   心の色は赤十字   

 

  「高い人間」という時の「高い」は

   品性が高い。

   人柄が高雅である。

   高尚でいやしくないこと。

   名高い、気高い、たけたかいという

   熟して使われるし、

   

   またどんな光景や状態に使われた 

   か、その場合にどんな語句と

   結ばれて文が綴られているのかを

   挙げて「高い人間」の存在感を

   確かめたり味わって見たいと思う。

​           

             【以下省略】

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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「練馬芋洗い塾」は公益財団法人天風会公認「練馬の会」に所属しております

 毎月第1土曜日14時~16時開催。場所は練馬区豊玉リサイクルセンターにて(西武池袋線桜台駅下車徒歩5分)

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