「定例会&勉強会」&「徒然ブログ」
- Terao Gokoku
- 2020年7月7日
- 読了時間: 6分
更新日:10月3日
1.定例会(旧集い)
練馬の会定例会は通常通り対面型(ZOOM併用)での開催です。
現在は対面式とZOOMを併用開催を実施しております。
練馬の会会員各位には電子メール、郵送等にて詳細ご連絡致します。
基本第一土曜日に対面式とZOOM併用で開催致します。
■対面式開催場所:「豊玉リサイクルセンター」西武池袋線桜台駅徒歩5分
■時間:原則14時~16時半。
■ZOOM:ID&PWはメール登録されている方にご連絡しております。
■その他:行事連絡用メーリングリスト登録ご希望の方は、本HPご連絡ページから必要事項を記載の上、送信してください。折り返しご連絡いたします。
※「豊玉リサイクルセンター」は下記となります。西武池袋線桜台駅下車徒歩5分です。https://www.nerima-rc.jp/shisetsu/toyotama.html
■練馬芋洗い塾会員の皆様には随時メール等でご連絡致します。 連絡が無い方はお手数おかけいたしますが下記メールアドレスまでご連絡ください。 tenpunerima@gmail.com
2.勉強会(中野哲学堂霊明閣&ZOOM開催)
■対面式&ZOOM勉強会
■場所:対面式 中野哲学堂「霊明閣」
■日時:通常第2土曜日13時半から15時半頃
※会場等の都合から日時変更の場合もございます。その場合は本HP冒頭をご覧ください。
※練馬の会会員の方にはメールにてご案内しております。
又は本HP「問い合わせ」ページからご連絡ください。
我々天風会員は常に初心に戻り
「明るく 朗らかに 活き活きとして 勇ましい」人生態度で
積極精神を把持し、精神統一をして 日々邁進いたしましょう!
それが人生を生きるうえで最も大事な「心」の使い方です。
そして万物の霊長の人間の「生存の法則」でもあります。

さて「徒然ブログ」をオープン致しました。
是非お立ち寄り頂ければ幸いです。
練馬の会(練馬芋洗い塾)「徒然ブログ」
お待たせいたしました。徒然ブログの再開です。
米津先生の今月のことばに「偉い人になるな。高い人になりなさい」という文章があります。
これは世間一般で言う「地位とか名誉」ではなくて「徳の高い人になること」が本来この世の中で大事なことである、という意味だと解釈しております。
そして「偉い人」という意味は、最近は組織の中での地位とか名誉を指すことが暗黙の了解かとおもうことがあります。
近年の「偉い人」の定義とは「物質文明の物差し」で測っていることが多いのではないでしょうか。天風先生はご著書「盛大なる人生」でこのように書かれております。
~人間は、もうしょっちゅう言ってるとおり、万物の霊長なんだからね。どんな悩めな境理で現在を生きてる人でも、住来で捨てたものを拾って歩いてるような乞食でも、万物の霊良なんだよ。犬や猫よりは尊いもん。万物の霊長であるがゆえに、程度の高い、豊かな生活ができるようにできてるんだ。
こう言うと、「いやあ、できてませんよ、私なんかもうしょっちゅう足らない」
そのほうをすぐ考えるからいけないんだよ。
心の豊かな生活がいちばん程度の高い生活だ。
物質の豊かなことを、あなた方は程度が高いと思ったら大違いだよ。心の豊かな生活でなかったら、程度が高いとは言えないんだよ。
どんなに金があったって、どんなにぜいたくのできる境涯にいたって、しょっちゅう悩みがあって、苦しみがあったら、けっして程度の高い生活をしてるとは言わないんだよ。
つまり、心の生活が豊かでなきゃ程度の高い生活とは言えないんだ。
その生活を豊かにしようには、理想を気高くしなきゃ駄目なんだよねえ。他人の喜びを我が喜びとし、自分の言うこと、行うことのすべてが人の世のためになることなんだ。
天風哲学の、「明るく、朗らかに、生き生きとして、男ましく」で毎日を生きてるかい。
今日、それぞれ得た収穫がどれだけ現実に残っているか、それとも、煙のように着えているかを自分自身で考えてごらん。
もしも、心身統一法を私から初めて聞いたときの心の喜びそのままが今あれば、これは尊い人だけれども、さもなき人は、宇宙を司る力が、その人の心のとる態度と同じ態度をとってその人に臨むということを忘れちゃった人なんだ。
し忘れたら思い出しなさいよ。忘れたことを悔やむ必要ないから。手から落ちたら拾うんだ。
人間は万物の霊長だから、もっと程度の高い、豊かな生活ができるようにできてんだ。
物質的な豊かな生活を乞い願うんなら、まず何よりも先決問題として、その土台を固めるために、精神生活を豊かにしろと先生が言ったが、ああ、そいつを忘れちゃった、というふうに気がつかなきゃあ……。
心の生活を豊かにするのには、何をおいても理想を気高いものにしなきゃ駄目なんだよ。
ただ、心の生活を豊かにしたい、豊かにしたいと思ったって、理想を気高くしないかぎりは心の生活は豊かになりませんよ。
そのかわり、理想が気高くされて、心の生活が豊かになれば、宇宙を司る宇宙霊から積極的な力と恵みがグングン、グングン、へんな言葉を使うようだけど、断りきれないほど我が命のなかに注ぎこまれる。
注ぎこまれるような器を用意したのと同じことになるからなんだ。これをなぜもっと信じないかというんだよ。信じても信じなくても、そうなるんなら、信じたらいいじゃないか。
それをただ話として聞いてて、なかには滑稽なやつになると、「先生のように偉くなりゃ、ま、そうなれるけども」ってことをすぐ言うやつがいるんだけど、とんでもないことだよ。
先生のようになりたかったら、そうすりゃいいだけなんだよ、私の言ったまんまを。
そういうふうに気持ちがはっきりと私の教えに従うようになると、世の中の人々がいたずらに運命や不幸に悩むとき、あなた方だけは常にすぐれた、恵まれた人生に生きられることになるんだぜ。
健康上の失敗でも、運命上の失敗でも、何ぞらん、いつも言うとおり、自分が知らないときにまいた種に花が咲いて実がみのってるという責任を強く感じて、改めなきゃいけないんだよ。
~以上盛大な人生P123から~
本来人間が、万物の霊長としてこの世に生まれてきた意味は「この世の中の進化向上に貢献する為」であり、その為に「万物の霊長」として他の動植物にない力→潜勢力(便宜上6つの力)をお与え下さり、その力をもって自力で世の中の進化向上に貢献しろ、ということが天風教義の 根底にあります。
これからの時代「大きな転換期」と思います。再度人間本来の「精神文明の時代」にもどる時だと思います。天風先生が述べられている心身統一を考えるとき「心が身体を支配する」のであれば精神文明が物質文明を従えるのが本来の世の中の姿ではないか、と思う今日この頃です。
そのように考えると文頭の「高い人になりなさい」の意味が良くわかる気が致します。
あくまで筆者の所感ですが皆様、如何でしょうか。
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